アドバイザーインタビュー 海老澤敏先生
モーツァルトステップに寄せて
来る2007年2月12日の「モーツァルト・ステップ(新宿)」のアドバイザーに、日本が世界に誇るモーツァルト研究者、海老澤敏先生がつとめられる。今回は、「海老澤敏先生とモーツァルト」についてのインタビューを改めてご紹介する。
研究の発端は短調作品
─ 先生がモーツァルトに興味を持ったきっかけや出会いのエピソードなどあればお聞かせください。
それがまったくわからないんですよ。いつのまにか好きになっていたんです。愛好家の皆さんも、研究家・評論家の皆さんも、「私とモーツァルトの出会い」という感じでよく書いたりしていらっしゃるけれど、私にはこれといったものがなくて、本当に「いつのまにか」という感じで、それが続いているだけなんです。
モーツァルトの書簡全集を一緒に編訳した同い歳の高橋英郎さん、彼の場合は肺病で死にかかったらしいんですよ。そのとき、部屋のSPの針がぽとっと落ちたところがモーツァルトのレクイエムのラクリモサ(涙の日)だったっていうんですね(笑)。そんな神がかりな人もいらっしゃるけれど、私はまったくそんな経験がありません。ただ自然にモーツァルトが好きになっていきました。
─ そんななかでモーツァルトの研究者になった経緯はどのようなものだったのでしょう?
旧制中学の頃は戦争中でしたが、戦後歯医者をしていた兄のおかげで、SPやLPはたくさん聞くことができました。長大なワーグナーもマーラーも自分ではまったく買わずにね。兄のおかげで、聞くほうは恵まれていました。そういうなかにモーツァルトが入っていたんです。でも新制高校に進んで、大学に入っても、専門で音楽をやるかどうかはわからなかったですね。
大学は、フランス語で受けたので仏文に入ろうかなとも思ったし、美学・芸術学関係に行きたいとも思っていました。東大は駒場の1年の秋に進学先を決めなきゃならないでしょ。それで、哲学も好きだったし、音楽も美術も好きだったというので、音楽美学を志望しました。美学というと哲学の一部ですしね。当時、本郷(東大の本郷キャンパス)には音楽学専門の先生は非常勤しかいなかったので、自分で芸大の先生についたり、ピアノを習ったり、ずいぶん一人で勉強しました。大学院に進んで、そこでモーツァルトの短調作品について400字で500枚くらいの修士論文を書きました。
─ 修論ではなぜモーツァルトの短調作品を取り上げたのですか?
あの頃は、一般的にモーツァルトがよく取り上げられていました。小林秀雄の『モオツァルト』が昭和21年の発表ですからね。
小林秀雄といえば一つ申し上げておきたいのは、弦楽五重奏曲ト短調を評しての《かなしさは疾走する》という有名な言葉です。もとはフランスの劇作家のアンリ・ゲオン『モーツァルトとの散歩』(Promenades avec Mozart、邦訳は高橋英郎・白水社)の中の"tristesse allanteトリステス・アラント"という表現で、普通、かなしみというのは停滞するイメージですが、モーツァルトのかなしみはたえず動いているというんですね。確かにモーツァルトの短調ってそうなんですね。ただ、allanteはイタリア語ではandanteアンダンテ(歩くような速さで)なんです。疾走するだったらprestoプレストでしょ?ですから、原語では「走り去る」んじゃなくて「歩み行く」なんですよ。《疾走する》というのは、むしろ小林秀雄の表現なんですね。
脱線しましたが、そんな時代の影響は受けていました。ただ、私は、作家になろうとも評論家になろうとも思ったことはなく、美学に行ったから音楽学的・音楽史的にモーツァルトを研究してみようと思ったんですね。ほんとにたいしたことやってないんですよ。ただモーツァルトの音楽につきあってもらったから続いたということですね。
オリジナルへのこだわり
─ 先生のモーツァルト関連の資料のコレクションは膨大なものだと伺っています。
先ほど申し上げたように、モーツァルトを好きになったのは自然にでしたけど、他の方々と違っていたのは生来の「物集め」が昂じて本や楽譜を集めていったということですね。昔の古い文献はほとんど揃っていますよ。モーツァルトの死後のものはもちろん、生前のものも集めています。例えば、モーツァルトが子供のときに、英国王立学士院の事務局長だった自然科学者のデインズ・バリントン(Daines Barrington)が、モーツァルトを被験者にして即興演奏などやらせた報告があります。1769年くらいに書かれたその学士院年報なども持ってますよ。
50年経っても、1&2冊どうしても手に入らない文献もあります。一回古本屋に出て、慌てて頼んだけれど、他の人に取られちゃったこともありました。私の「物集め」は、ただの骨董趣味ではなくて、研究するなら文献もオリジナルなものを集めたいという気持ちからですね。(写真は、デインズ・バリントン執筆「大いに注目すべき幼い音楽家についての報告」海老澤先生所蔵)
─ 資料はどのくらいお持ちなんですか?
まあ、私のちっちゃな家(編集注:小さいはずがありません...)におさまるくらいですから大したことないんですが、それでも部屋が2ついっぱいになって困ってます。
以前、少し天井が高くて、そこに書架を高く設置した「モーツァルトの部屋」というのを作ったんです。それで、いざ書籍を入れようと思ったら、隣りがピアノの部屋だった家内が「こっちがピアノ向きから私がもらうわ」って(笑)。今は、家内のピアノが2台、フォルテピアノが1台、書架には18世紀の本を入れています。隣りの部屋に入れた書架は外国語の文献だけでもうぐちゃぐちゃですし、書斎の書庫も溢れてますね。
─ そんなにたくさんの資料をお持ちだと、保管だけでも大変ですね。
そうなんです。私なんかもう長くないですから、家内にいつも「片付けてから死んでくれ」とか言われてけんかしてます(笑)。大学の先生とか学者さんとか、みんないじめられてますよ(笑)。だいたい女性のが長生きでしょ。「早く死ぬのはいいけど、めんどうなものを残していかないでね」って。モーツァルトの資料も、私は好きで集めてますし、集め方は私の中では首尾一貫してますけど、他の人から見たら何が何やらガラクタの山でしょうから。どこに寄贈したらよいか、考えあぐねているところですよ。
作曲の動機を追って
─ モーツァルトのピアノ作品でお好きなもの・お薦めの作品などありますでしょうか。
これもよく聞かれるんですけど、全部好きです、としか答えようがないんです。ピアノ曲に限らず、モーツァルトの作品には、どの曲にもその曲が作られた動機とか理由を知りたいと思わせる何かがあるんですよ。
いくつかの曲で書かれた動機を追跡したことがあるんですが、モーツァルト自身は我々がそれを知る手立てを資料の形では残してない場合がほとんどです。ですが、研究者の世界では何かを語るためには資料が必要です。直接的な資料がなくても、間接的な資料とか状況証拠である程度見当がつくものがあるので、それを探していくんです。
─ いくつか例を挙げていただけますか?
たとえば、1781年、ヨーゼフ2世の御前でクレメンティとモーツァルトが有名な弾き比べをしています。このときクレメンティが弾いたソナタ(Op.47-2)を、モーツァルトは後に「魔笛」の音型に使ってるんですね。そのことをクレメンティが書き残しています。
また、ロンドニ長調K.485の主題は、もとはクリスチャン・バッハの室内楽の主題なんですね。それを変ホ長調のピアノ四重奏曲でも使っています。これらの曲は、モーツァルトがクリスチャン・バッハの思い出に捧げていることがわかります。
モーツァルトは、すべての作品でそういうことをやっていて、本当に奥深いです。それで好きな曲はと言われると、困っちゃって「全部好き」と答えてしまいます。(写真はオペラ「魔笛」初演プログラム)
─ 最後に、読者の皆さんに向けた、モーツァルトの楽しみ方のアドバイスをお願いします。
ひとつは、せっかくピアノをやっていらっしゃるんですから、もちろん弾いて楽しんでほしいです。K.545みたいに簡単な曲もありますしね。あとは、モーツァルトの音楽は、《なぞめいた魅力》というか、背景や動機は知らないけれども何か背後にあるなと感じさせるものを持っていて、書かれた理由やきっかけを調べてみると、なるほど彼の音楽がより近くに近づいてくるという体験があります。分からなくても「何かある」と思わせるモーツァルトの音楽の魅力に身を委ねてみるのがいいんじゃないでしょうか。
─ ありがとうございました。
(2003年12月31日発行「Amyuse vol.4」特集より)