ピティナ・ピアノステップ

ステージに出るたび、ステージが好きになる~ピアノ継続の秘訣~ Vol.3

ステージに出るたびピアノが好きになるVol.3
中村香織さん
なかむらかおり◎愛知県出身、東京都在住。徳島大学医学部卒業。現在、都内の診療所の内科・循環器科の医師として勤務している。1997年にピティナ・ピアノコンペティションに参加したことをきっかけに、コンペ、ステップに参加。2006年ピティナピアノコンペティション グランミューズ部門B1カテゴリーで全国大会進出。2010年5月30日目白バロックステップにて100回継続表彰を受賞。当協会グランミューズ会員。

5月30日東京の目白バロックステップで、前人未到のステージ継続表彰100回を受賞した中村香織さん。1997年にピティナ・ピアノコンペティションに初参加。数年のブランクの後、2004年から年間10回~20回のハイペースでコンペ、ステップに参加し、100回のステージを成し遂げた。中村さんの本職は、内科・循環器科の医師。日々多忙の中、ピアノを弾き、ステージに立ち続ける原動力とは?

年間の練習スケジュール

ピティナ・ピアノコンペティションとほかのアマチュアピアノコンクールが行われる夏が節目。初秋にできるだけ新曲を中心に20?30分の分量を選曲し、年間通して深めていくというサイクルを続ける。2009年度は、ピティナ・ピアノステップになんと23回出場。

一日の練習スケジュール

コンクール前は、自宅近所のスタジオで、出勤前の1時間、朝練をするのが日課。 仕事から帰宅後、2時間ほど自宅で練習。

ピアノと勉強漬けの高校・大学時代

 「今では、週末にステップに参加するのが私にとっての『日常』ですね。ステップのない週末があるとなんだかイライラしてしまって寂しくなる。どうやら『ステップ中毒』の症状が出てしまっているようなんです(笑)」5月30日の目白バロックステップでの継続表彰100回の表彰式では、こんな発言も飛び出し、会場内を笑わせてくれた中村香織さん。ピアノとはどのような付き合い方をしてきたのだろうか?

  中村さんとピアノとの出会いは、5・6歳の頃。家にあった「ピアノ名曲アルバム」などのレコードの「耳コピ」で(!)ピアノを自ら弾き始めたようだ。「ピアノを習わせてほしい」と親を説得し、近くの音楽教室に通い始める。
高校一年生のとき、同じクラスにピアノのとても上手な女の子がいた。このクラスメイトとの出会いは、中村さんをさらにピアノに熱中させるきっかけとなった。

  「全国規模のコンクールで優勝するような、本当にピアノの上手な子だったんです。彼女とは、ピアノを通じてとても仲良くなったのですが、同時に私のライバル心に火がついたのでしょうね、それからは、彼女が弾く曲弾く曲、全部同じように私も弾いていました。私の両親はなかなか厳しく、私が音楽の専門に進むことは反対だったので、ピアノの練習も自宅ではできず、毎日学校の音楽室で練習する高校3年間でした。」

 高校時代はピアノばかりで全く勉強しなかったという中村さんだが、1年後、みごと医学部に合格。大学時代は、所属した「ピアノ同好会」を盛り上げ、ピアノと勉強漬けの毎日を送る。「ほとんどの日が部室に住み込んで、ピアノ弾いているような状態」と当時を振り返る。
卒業後は上京し、大学病院勤務の内科医の医師として社会人のスタートをきった。例の高校時代のクラスメイトとの親交は続き、彼女にピアノを習っていた時期もあると言う。

 「2000年頃配属された病院は非常に忙しく、『2週間自宅に帰れない』という激務の日々。当然ピアノを弾く余裕などなく、ピアノを弾けない時期が2年間ほど続いたんです。このまま私はピアノを弾けなくなるのかな、このままでいいのかと自問自答の毎日でした。そこで思い切って大学病院を辞めました。その後は今のように診療所に勤め、勤務時間が以前より格段に規則的になり、再びピアノを弾く余裕ができました。」

 ピアノを再開しても、しばらくは指も思うように動かず1年半ほど苦しい日々を送った。
2004年から再びピティナに参加。年間、10~20回と頻繁にコンペやステップに出場するようになる。100回目の目白バロックステップでは、ハイドンの初期のソナタHob.XVI/6の第1楽章、バッハのパルティータ第4番よりアルマンド、クーラント、デュティユーの「ブラックバード」を聞かせてくれた。このようにバロック期と近現代という両極端の時代の作品を演奏するのが最近好きなのだそうだ。

回数を重ねることは、それなりに意味があるんだなと実感しています

100回表彰を受賞した中村香織さんとアドバイザーの林苑子先生(5月30日目白バロックステップ)。中村さんには、記念品と継続表彰賞状のほか、副賞としてステップ参加券が贈られた。
100回のステージの中には、いろんな思い出もあることだろう。

「2004年、コンペのグランミューズ部門に復帰したときのステージは嬉しかったですね。2地区とも予選落ちしてしまいましたが。でもその2年後のグランミューズ部門では全国決勝大会に出場することができ、王子ホールでシューベルトを演奏したときのことはやはり思い出深いです。100回の中には予期せぬハプニングも起こるものですね。暗譜がとんでしまって、あわてて客席に楽譜をとりに行って途中から弾き始めるというような苦い思い出も。今でこそ、ステージ上では落ち着いて弾いていますが、30回くらいまでは、緊張のために足がガクガクしてしまって大変でした。60回くらいになると、演奏が大きく破綻するようなアクシデントは起こらなくなった。そして90回以上になった今では落ち着いてステージにたっているんですね。やっぱり回数を重ねることって、それなりに意味があるんだなって実感しています。次に150回、200回と回数が重なったときに、自分にどのような変化が起こるのか楽しみです。」

今後の目標についても語ってくれた。

「アマチュアのピアノ弾きには、ソロのリサイタルをしてみたいという最終的な目標がある。私もその一人です。四期をバランス良くレパートリーとしていきたいと思います。ステップのステージ経験をその夢をかなえるための糧にしていきたいですね。アドバイザーの先生方からのメッセージは貴重なアドバイスです。どんどん厳しいコメントをいただけると嬉しいです。」

100回表彰を受賞した中村香織さんとアドバイザーの林苑子先生(5月30日目白バロックステップ)。 中村さんには、記念品と継続表彰賞状のほか、副賞としてステップ参加券が贈られた。
(取材・文 永田夏樹)
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